私は今年70歳になります。小学校を卒業したのが50数年前です。
私の小学校は伊勢原小学校で、当時の伊勢原町唯一の小学校でした。この小学校の校歌に次のような歌詞があります(お手元に配布してあります)。
その一番は
修め修めよ己が徳 磨きに磨け己が智を
知徳の二つ具えずば かたわの人とすてられむ
二番が、体を鍛えなければ、身体が弱ければ、具えた知徳も用をなさない、と続き、四番に教えを受けて世の中に出たら、世の中の為になれと結んでいます。
1904年(明治37年 日露戦争が始まった直後)に、明治天皇は「戦争で大変な折でも教育はいい加減にせず、その任に当たっているものは充分に務め励んでほしい」と訓示しておられます。
私は教育者でもなく、また教育を研究しているわけでもないですが、今の時代は色々のことで、効率的な面が主に追及され、心の持ちようを土台にした考察や行動がないがしろにされているとまで言いませんが、軽視されてように感じることは否めません。
ロータリーは1905年2月(日露戦争奉天大会戦は同年3月)にシカゴで誕生したことは皆さんご承知と思います。
当時のアメリカは急激な都市化により、大変荒んだ時代のようした。そんな折、ポール・ハリスが他3人の仲間と、親睦を基本として、また異業種の集まりとしての定例会を創りました。
しかし親睦だけでは会員のモチベーションが保てないことが分かり、社会奉仕事業を活動に取り入れました。また、基本が個々に異なった職業--異業種--の集まりであり、個々の職業を代表していることから、それぞれの職業人が職業を通じて、自身の資質を高めることにより、そして自身の携わる職業が、世のため人のためになっていることを「実感してほしい、目指してほしい」と活動を規定しました。つまり職業奉仕の考え方です。この考えのもと、ロータリーは二回の世界大戦を経験しても長い間発展をし、拡大し続けました。
しかしロータリーが創立100年を意識しだした頃、ロータリー先進国のアメリカや日本での会員数が減少し始めたことにより、国際ロータリー(RI)は効率を考え、奉仕活動も一つの方向にまとめよう、との考え方が生まれ、「効果的クラブ」を目指し、クラブを強化する手法の「CLP」が発案されました。
国際ロータリーの目的は「ロータリーの綱領を推進するようなプログラムや活動を追求しているRI加盟クラブとRI地区を支援する」となっています。すなわち「活動の主体は各クラブ」であり、これが原則です。
しかし各クラブの実勢が会員数等に限りが見え始めたため、各クラブを「強化」することの必要性が生まれ、活動を一つにまとめて効果を生み出そうとした方法が考え出され推奨されるようになったと思います。その考えのもと、RIは新しいビジョンや新しい使命を盛り込んだ「Strategic Plan=戦略計画」を発表して、その中核となる価値観
『奉仕・親睦・多様性・高潔性・リーダーシップ』
を、提唱しました。
我々のロータリー・クラブはRIに加盟を申請し、認証されたものです。従って、RIの方針に従う義務があります。
しかし、RIは全世界向けの奉仕プロジェクトを策定しているため、方針を理解はしても、クラブとして活動しにくいものもあります。そして奉仕活動が一つの方向に傾きすぎるきらいがあると我々日本のロータリアンが思い、違和感を感ずることは否めません。
また活動は、各々のクラブが独自に計画することに躍動感や達成感があります。たしかにポール・ハリスは自書「This Rotarian Age=ロータリーの理想と友愛」の中で、変化なくして発展はない、と言っております。が、あまりに効率を追及しますと精神が追い付かないことになるのも事実でしょう。
ロータリーの創立から、現在までを掻い摘んでお話しいたしましたが、もう一つ余談を申しますと、ポール・ハリスの創立したロータリークラブは決して金持ちの集まりではなかったと思います。ポール・ハリスは青年弁護士でありますし、他の3人も普通の職業人でした。
しかし日本で初めてのロータリークラブである東京ロータリークラブ(世界で855番目のクラブとして1920年10月創立)は少し違っていました。当時のアメリカで、オイルマネーで潤っていたテキサス州のダラスのロータリークラブを見本としたからです。従って会員はほとんど大会社の支配人クラスから選ばれたようです。しかし創立3年目の1923年9月に起こった関東大震災で「国際ロータリーの力」を認識したようです。
私は大分古くに伊勢原ロータリークラブが誕生したときに入会いたしました。359地区神奈川、静岡、山梨が一地区の時です。伊勢原ロータリークラブにステータスを感じ、自ら願い出て入会を許されました。皆さんはどんな動機だったでしょうか!
ロータリーには「入りて学び、出でて奉仕せよ」と「隠匿の美」があります。入りて学び、出でて奉仕せよ、はご承知のとおり、例会で自己研鑽し、地域社会に奉仕するということで、文字どおり一連の言葉です。
少しこじつけて前と後に分けてみますと、この前段の部分を重視したのが今までのロータリーであり、職業奉仕を重点にした考え方とあいまって日本のロータリークラブの主流の考えであると思います。そして後段の部分を強調しているのが、今のRIであり、ヨーロッパを中心にしたロータリークラブの考え方かと思います。本来どちらにも偏らなく、調和させた奉仕活動がベターなのでしょうが、皆さんはいかがお考えでしょうか。
現代は忙しい時代です。じっくり自己を磨き、その醸し出す理念で地道に奉仕することは、やはりスピード感に欠け、達成感も少ないと思われるのでしょうか。スピード感と躍動感を感じさせるのはやはり効率を追求し、さらに個別でない方が華々しいのでしょうか。
もしそうだとしたら、今までの自己研鑽が最初のステップとしたやり方に慣れ親しんできた会員より、現在の効率的で躍動感のあるこの時代に事業を営んで居られる、会員歴の短い皆様に活躍の場があるのではないでしょうか。
会員歴が短いと言っても実業の世界では、各業界を代表している立派な経営者でおられます。皆さんのご活躍で、活動の中に達成感を感じさせ、かつ隠匿の美もまた良しのゆとりを持ちながら、日本人の精神に合った奉仕活動を、そして日本人に合った明日のロータリーを目指して皆さまでご努力されて「活気あるロータリークラブの実現」を可能にしてください。
ロータリーは10人10色、100人100様です。ロータリーの綱領・RI定款および細則・クラブ定款の範囲以内なら、如何なる奉仕活動をしてもかまいません。活発にクラブ会長や理事会に活動の提案をしてください。
最後に人の受け売りですが、 西洋の「ホスピタリティ」は「神からの恵み」であり、上から下へ与えるもの、日本の「もてなしの精神」は「神様をお迎えする」行為で、下から上に対しての考え方 だそうです。まことに日本人らしい、まさに日本人にしかない精神構造のようです。また食事の際の「いただきます」も意味深い言葉です。皆さまのご活躍を期待します。
ご清聴ありがとうございました。
▼言葉の意味
「徳」
心が正しくて、おこないが人の道にあっていること
修養によって得た、自らを高め、他を感化する精神的能力
「かたわ」
欠点があって不完全なようす
釣り合いがとれていないこと。片寄があること
見苦しいこと。不体裁なこと