国際奉仕 部門
1.基調講演
リーダー 奥津 光弘 (秦野中)
本日は行楽シーズンでの日曜日で何かとお忙しい中を、当地区の地区協議会国際奉仕部門の分科会にご出席いただき、ありがとうございます。当部門のリーダーを務めさせていただきます、秦野中RCの奥津でございます。職業分類は歯科口腔外科です。
開会に先立ちまして、本日のサブリーダーをご紹介させていただきます。まず高木直之さん、かながわ湘南RC所属で現在東京海洋大学の教授をしていらっしゃいます。現在地区では国際奉仕委員長を担当、次年度も同じく国際奉仕委員長です。高木さんは国際親善奨学生でアメリカに留学され、かながわ湘南RCの創立に貢献された方です。橋本槇雄さんは第9グループガバナー補佐、次年度財団奨学金・財団学友副委員長です。小田原RC所属で職業分類は酒類販売です。成田清さんは平塚西RC所属、前年度の第8グループガバナー補佐、本年度は高木さんの下で国際奉仕副委員長をなさっています。次年度も続投の予定です。職業分類は瓦配布です。
さて、国際奉仕はロータリー5大奉仕の1部門として華やかな業績を誇っていることは皆様ご存知と思います。本日は国際奉仕について4人のリーダー、サブリーダーの話があって、その後、皆様方と討論するという形をとりますので、よろしくお願いいたします。
まず、私は、基調講演ということですが、次年度30年ぶりに日本から3人目のRI会長田中作次氏が就任されますが、RI会長こそ国際奉仕のトップバッターだと思いますので、長い間待望のRI会長をお祝い致す意味で特に最初の日本のRI会長東ヶ崎潔さんのお話をしたいと思います。東ヶ崎さんについてはロータリー文庫にも伝記らしきものがありませんで、当時のロータリーの友に記載されました記事を集めましてお話しさせていただきたいと思います。
東ヶ崎さんは1968-69年度のRI会長で、アメリカ生まれの2世で名前はジョージ・キヨシ・トガサキといい、1895年の生まれです。父は東ヶ崎菊松といいまして、1886年にアメリカへ移住しております。菊松は一般の移民とは異なり、19歳の時、既に日本の司法省学校を卒業しているのですが、21歳にならなければ判事に任官できないため、精力的で活動的だった彼は、漫然と待つことをせず、その間にアメリカを見聞しておこうとサンフランシスコ行の船に乗り込むのです。1、2年しての帰国の予定が、アメリカがすっかり気に入り、当時米国に滞在していた夫人クリスチャン矯風会の共同創始者であった串田茂さんと知り合い結婚し、彼もクリスチャンとなるのです。結婚のため2人連れだって帰国し、式を上げ、移民として生活を始めるため、再びサンフランシスコに戻ったのです。しかし、移民としての生活は楽ではなく、移民仲間にキリスト教を説いていたといわれています。
ジョージの生まれたのはこの頃で1895年より兄弟が次々と生まれ、14年間に8人の子供が生まれ生活も大変だったと伝えられています。菊松は美術品店を開くが1906年の大震災で店がつぶれ、貿易商を始めるのです。ジョージは東洋人であるということだけで、いろいろのいじめを受け、学校も東洋人専用の学校に転校させられたのです、父親はこの処遇に強硬に抗議し、「アメリカ人の子供たちと一緒に学ぶことを許されなくてどうして良きアメリカ人になることができるのか」を申し立て、この事件は時の大統領セオドール・ルーズベルトが調停に乗り出すまでに発展し、その結果この差別措置は中止されたといわれています。
ジョージはカリフォルニア大学に入学、在学中、第1次世界大戦となり、フランスに出兵する。帰国後医者になりたかったが、父親の反対と願望により商業の道を選び、父親の手伝いをし、家計を助け、弟妹の面倒を見たといわれています。
ジョージは1920年にカリフォルニア大学を卒業し、仕事のことで何度か日本に旅行します。そして有名な教育者、金森通倫の娘と結婚しましたが、、1924年に米国で移民法が施行され、東洋人の移民が禁止されたために米国と日本を往ったり来たりしていました。アメリカの大不況が深刻化し、1932年にジョージは米国での生活を引き払い、移民法の改正で家族と共に渡米できる日の来ることを期して東京に移住したのです。
日本では完璧な英語力と米国とのコネクションを見込まれ世界教育者会議日本事務局長、1939年にはニューヨーク万博のコミッショナー等を務めました。
1941年に始まった太平洋戦争で彼は深いジレンマを感じたが、日本当局は彼の誠実さを信じてジャパンタイムズの編集局長につき、そして社長にまでなったのです。この頃軍部により解散された東京ロータリークラブが水曜会というグループを作ったため、彼はそこに入会したのです。戦後ロータリークラブが復活した時にはそのメンバーとなりました。
1961年に23,300人を集めたロータリー市場最大の東京国際大会にはホスト・クラブ準備委員長を務めました。
1968〜69年度国際ロータリー会長に指名されました。日本人で最初のRI会長となったのです。テーマは(当時はRI会長メッセージ)「Participate」―参加し、敢行しよう―で、この簡潔なテーマは日本の名声を高め、最も優れたRI会長の一人と言われました。
【東ヶ崎潔の主要経歴】
(学歴)
●カリフォルニア大学商学部卒
(経歴)
●ジャパンタイムズ社長
●富士海外旅行社長/
●国際基督教大学名誉理事長
(中島)飛行場跡地(東京ドームの15倍)を譲り受けICUの創立に貢献。
一昨年大学内に7階建ての東ヶ崎ログ・ハウス開館。
ICUはロータリー平和センター7大学の一つ。
●国際聖路加病院理事長
(褒章)
●1966年:日米友好に尽くした功績で勲3等旭日中受賞
●1968年:母校カリフォルニア大学卒業生中、
卓越した人物100人に贈られるバークレーフェロー国際賞受賞
以上、簡単ですが、東ヶ崎さんの偉大な功績をざっとお伝えいたしました。特にロータリアンの我々にとっては忘れることのできない第1代会長ということの意義は大きいと思います。
1982〜83年に2人目のRI会長を務めました向笠広次さん(精神科医)と3人目の次年度会長田中作次さんの伝記は機会があったらお話しさせていただきたいと存じます。
ご清聴ありがとうございました。
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